世田谷これまである記 -blog編-


常盤伝説

今日は常盤姫のお話です。
このお話は世田谷では一番有名なお話です(断言)。
世田谷の区の花である鷺草もここからきています。

前に常盤伝説については調べて、ここに出てくる和歌について調べたものをブログにも載せていますが(2005年9月「名残常盤記和歌」)、今回は伝説の内容について書いていきたいと思います。

中世の世田谷を治めていた七代目世田谷城主吉良頼康の側室に、奥沢城主大平出羽守の娘で常盤とうい姫がいました。常盤姫は頼康の愛情を一身に受けたため、他の12人の側室にねたまれました。そして常盤姫が懐妊した時に、ほかの側室たちは頼康に、常盤は家臣の内海掃部の子を身ごもっていると、嘘の訴えをしました。それを聞いて怒った頼康は、城を逃れた常盤姫に追っ手を差し向けました。これ以上逃れることが出来ないと悟った常盤姫は、自ら命を絶ちました。その際に死産した男の子の胞衣から吉良家の紋が浮かび上がり、頼康は自分の過ちに気づいたのです。その後頼康は八幡に若子と常盤を祀り、供養をしました。

以上が『名残常盤記』のお話です。細部は諸説ありますが、大まかにな話の筋では、このような悲しいお話です。

また常盤伝説には次のようなお話もあります。
愛情を疑われた常盤姫が、幼少の頃から可愛がっていた白鷺に遺書をくくりつけ、実家の奥沢城に向けて放ちました。この白鷺を、狩りに出ていた頼康が射ち落としました。遺書を見た頼康があわてて城に戻ると、もうすでに遅く、常盤は自害していました。そしてこの白鷺が落ちたあとに、鷺草が生えたのです。
これが世田谷区の花である鷺草の由来です。

他にもこの常盤伝説に関する場所が現在でもありまして、
若子と常盤を祀った駒留八幡(常盤弁天)や常盤姫がひらいたとされる常在寺。
吉良家の居城である世田谷城の跡地、世田谷城址公園。
常盤姫の実家である奥沢城跡の浄真寺。
他に、頼康は嘘の訴えをした12人の側室を処刑するのですが、その12人と常盤姫を合わせたものを十三人塚と呼び、人々は信仰してきました。現在は常盤姫の常盤塚のみが残っています。

江戸時代に書かれた『名残常盤記』は、著者など詳しいことは分かっていませんが、常盤のお話自体は世田谷の地でずっと語り継がれてきたものです。
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by hirainatsuko | 2006-04-21 14:18 | 民話・伝説

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