世田谷これまである記 -blog編-


カテゴリ:民話・伝説( 61 )



影絵原画でみる「世田谷の民話」展 ~石井昭 影絵の仕事場より

現在キャロットタワーの3階にて上記の展示会が催されています。
キャロットタワーは生活圏なのですが、こんな催し物をやっているなんて露知らず、「民話の展示をやっているよ」というありがたい情報を頂いて、てくてく見に行ってきました。

影絵って、光と影のコントラストがとってもきれいですね。
民話の世界が、影絵によってより豊かに再現されていました。
しかもこれだけblogで民話を見てきて、しかも60話にもなったと豪語していたのにも関わらず、知らない民話がいくつかありました。
やはり民話はすごいです。まだまだ本に収まっていないお話が沢山あるのでしょう。

展示会には切り絵1枚1枚が飾ってあるだけでなく、3本ほど切り絵が映像化されていました。今回はちょっと全部見てこられなかったので、また見に行きたいと思っております。


ちなみに詳細は、

『影絵原画でみる「世田谷の民話」展 ~石井昭 影絵の仕事場より』
会期:2006年8月1日(火)~2006年8月20日(日)
時間:9時~20時
会場:生活工房ギャラリー(3F)
※入場無料
(生活工房のHPより)

ぜひ興味ある方、足を運んでみてください!
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by hirainatsuko | 2006-08-11 13:41 | 民話・伝説


ひとまず総括(民話・伝説)

ここで一旦「世田谷の民話・伝説」編を区切ります。
『ふるさと世田谷を語る』と『せたがやの民話』から地域ごとに引っ張って来たのですが、その数60話。
よくこんなに集め、残した人がいるもんだなぁと感心しました。
世田谷が農村地帯から今の住宅地へと姿を変えていった契機として、関東大震災が一つあったと思います。1923年に起きた関東大震災から80年余の月日が経っています。なので、これら民話の舞台となった世田谷の村々は、もう私には、直接体験してきた世界ではありません。それでも各地域の民話は、過去の姿を知るだけでなく、現在においても自分の地域に愛着を感じるお話だと思います。
上手くまとめられませんが、今まで見てきた「民話」と「地名」によって、自分に縁のある地域をより豊かにみていけたらなぁと思います。
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by hirainatsuko | 2006-08-10 15:51 | 民話・伝説


野毛の民話 その3

今回はずいぶんとメルヘンなお話です。

野毛には深い森のある丘があり、そこには立派な城が建っていました。お城には上品に育てられた美しい姫が暮らしていました。姫はとても優しく、森の動物達にも大変慕われていました。
ところがある日姫は京へ嫁ぐことになったのです。動物達はとても悲しみましたが、遠くに行く姫のため、沢山の薬草を運んできました。姫は喜び、今度は自分が動物達にお返しをしようと思い、森の中を歩き回ったところ、足を滑らせて滝つぼに落ちてしまいました。動物達は驚いて、急いで姫を助け上げ、一生懸命介抱しました。その甲斐あって姫は目を覚ましました。動物達は「姫は森のお姫様だ」「京などに行かないで」と口をそろえて言い、姫はみんなの顔を見まわしたあと、にっこり笑ってうなずきました。


はてさて不思議な話が野毛には伝わっているのだな、、と思いました。
結局、「このお姫様は生涯森の中で暮らしました」というお話なんですかね。
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by hirainatsuko | 2006-08-01 16:27 | 民話・伝説


用賀の民話

用賀にある無量寺にまつわる話です。

品川の漁師である喜七が、寄木の沖に舟を出してのりをとっている最中に、舟の前に大きな丸太が流れてきました。舟を近づけてよく見ると、それは観音様でした。喜七はやっとの思いで観音様を引き揚げ家に持って帰りました。
家に帰ると、用賀村の高橋六右衛門が来ていました。先日喜七は六右衛門のところへのりを届けに行ったのですが、六右衛門家では母を亡くしてとりこんでいた為、喜七は仏様のお供え物にと言って隣の家にのりを預けていったのです。今日はそのお礼にと高橋六右衛門は訪れたのでした。六右衛門は喜七の拾った観音像をみて、亡くなった母にそっくりであることに驚きました。喜七に観音像を是非譲って欲しいと頼み、用賀村に大切に持ち帰りました。そして村の守り神とするべく、無量寺に観音堂を建てて、村の大切な観音様にしました。


この無量寺はこの間お散歩で行ってきたところです。
昔は観音講で賑わったお寺だと説明がありました。また観音様は十二年に一回午の年に開帳されるそうです。
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by hirainatsuko | 2006-08-01 16:03 | 民話・伝説


深沢の民話 その3

中世南北朝の頃のおはなしです。

多摩川で武士の合戦がまたあるという噂が、深沢村にも流れてきました。旗さしものをみると、どうやら新田氏と江戸氏の合戦のようです。
ある夜、村の旧家三田家に、身ごもった姫と供の者がやってきたのです。供の者は、姫に生まれる子供が男の子であったなら、芝の神明様に送り届けて欲しいと言って立ち去りました。後に姫は男の子を産み、三田家では誰にも気付かれないようにと屋敷の奥で子供の世話をしました。世田原で合戦が終わった後、敗れた兵が逃げ込んでないかと三田家に調べの者が来ました。姫の子供は敗れた新田のかたみでした。そこで三田家では子供を密かに芝の神明様に届けることにしました。しかし屋敷の外には敵の目が光っていて送り届けることができません。なので三田家では屋敷神に芝の神明様をむかえて、子供を神前に届ける儀式を行ないました。

お話は以上なのですが、続きが気になるところです。
多摩川で新田氏と江戸氏の戦いがあるといわれると、新田義興が矢切の渡しで謀殺された話が思い浮かぶのですが(詳細は兵庫島の話にて)、今回のお話はこれと関係しているのでしょうか。
しかし世田原ってどこでしょう。このあたりのはらっぱ?
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by hirainatsuko | 2006-08-01 15:48 | 民話・伝説


玉川地域の民話

玉川の村では、春から夏にかけて病が流行りました。
キヌの家でも、母が病で体が黄色くなり、床に伏せっていました。父は三年前同じ病で急死しています。キヌは良薬を探し求めました。
ある日、目黒村からこの病に効くという薬をもらった帰り道、一人の子供が病に効く秘薬があるといってキヌを矢沢川(やざがわ)に連れて行きました。子供は川底にあるシジミの中で丸みのあるものをより分け、キヌに渡しました。キヌがこのシジミの煮汁を母に飲ませたところ、母は翌日からみるみる元気になっていきました。この黄色い病に効く薬の話は近隣に広まって、この地方では不治の病はなくなったということです。

今回の話の題名は「貝とり娘とお不動様のお使い」というものです。
どうやらキヌにシジミのことを教えた子供はお不動様のお使いだったようです。
文中の「矢沢川」は現在の等々力渓谷を流れる「谷沢川」であるという注釈が入っています。
このお不動様のお使いは目黒不動なのか等々力不動なのか、、どのみちお不動様に縁のある地域がお話の中に出てきていますね。
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by hirainatsuko | 2006-08-01 15:28 | 民話・伝説


九品仏の民話

今回は九品仏についてのお話です。

池のほとりの小屋から、毎日朝早くからノミの音がきこえてきます。名主の彦兵衛は一体何事かと小屋を訪ねてみると、そこでは二人の僧が一心に仏を彫っていました。名主がもしや木喰上人(もくじきしょうにん)様ではないかと尋ねると、僧はそんな大それた僧ではないと答えました。そして、実はかつては武士として仕官していたが、上役の悪だくみで部下や町の衆までまきぞえられて罪人とされてしまい、自分はその卑怯者の上役を殺して僧になったと話しました。仏像を見た名主は是非村に安置させてほしいと申し出ました。
そして落慶式の日から一月ほどは、門前市がたち、江戸から町人が列をなして参詣しにきました。上人が仕官していた頃に世話をした人々が恩返しに参詣しに来たのです。驚いた名主達が再び上人を訪ねると、上人は既に旅立ちの姿をしていたといいます。

以上九品仏のお話です。
九品仏浄真寺は、1678年に珂碩(かせき)上人が創建したお寺です。もとは奥沢城であったところで、つい最近までは境内に鷺草園がありましたが、現在はなくなってしまいました。
またここは三年に一度のお面かぶりが有名です。三年に一度なので、次は2008年の夏ですね。
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by hirainatsuko | 2006-07-04 18:04 | 民話・伝説


野毛の民話 その2

野毛といったら野毛大塚古墳。野毛古墳群の中でも最大規模の前方後円墳です。
現在は公園になっていて、昼間は小さい子供たちが古墳を駆け下りたりして遊んでいます。
今回はその野毛大塚古墳にまつわるお話です。

ある日村の二人の青年のうち、平吉は血を吐いて死に、清助は突然狂ってしまいました。村の世話人の新兵衛はただ事ではないと思い、二人の青年の親に事情を聞いてみますが、なんとも返事が返ってきません。新兵衛は思い当たることがあり、翌朝早く大塚山に行ってみると、そこには清助がほり土にむかってとなえごとをしていました。二人で塚を掘り、死んだ平吉は勾玉や黄金を盗んだというのです。盗んだものを元の通り戻したら、狂った清助は元に戻りました。しかし堀り口に土をかけても、穴は赤い血を吹きふさがらないので、清助は先ほどのようにとなえごとをしていました。新兵衛が穴を土で固めるとやっと赤い血が止まりました。しかし今までいた清助が急に消えてしまったのです。
新兵衛が家に帰ると、すぐに清助の親がやってきて、息子が血を吐いて死んだと知らせました。

以上、赤い血を吹く野毛大塚古墳の話でした。
『せたがやの民話』には野毛大塚古墳について、南関東最大の円墳であると説明しています。5世紀前半の築造とみられ、明治30年頃に頂上から石棺が出てきて、古墳であることが判明したそうです。それまでは古城跡と考えられていました。明治後期には古墳の頂上に吾妻神社がまつられ、日露戦争当時は弾除けの神として参詣者が列をなし、茶店が出たほどだったといいます。

・・・そうだったんだ。なんで弾除けの神様とされたんでしょう。
ちなみに野毛古墳群についてもう少し紹介させてもらうと、かつて武蔵国は北と南の勢力に分かれていました。日本書紀によると、北の使主(おみ)と南の小杵(おき)とで争っていたと書かれています。そして534年に大和朝廷にまつろわぬ小杵が、使主を殺そうとしますが、大和朝廷に助けを求めた使主が逆に小杵を殺します。この殺された小杵の本拠地が、多摩川沿いの田園調布古墳群やこの野毛古墳群だったとされています。ちなみに使主の本拠地は埼玉古墳群の辺りと推定されています。
太古のロマン・・・ですかね。
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by hirainatsuko | 2006-07-04 17:35 | 民話・伝説


奥沢の民話 その2

奥沢城のカヤの木にまつわるお話です。

奥沢城にはとても美しい姫が住んでいました。ある日傷ついた白鷺が奥沢城のカヤの木にとまりました。これに気付いた姫は白鷺の手当てをして、白鷺はみるみる元気になりました。元気になった白鷺に元の巣に戻るようにと言い、奥沢城であずかっていたことをしたためた文を白鷺の足に結びました。幾日か経って、再び白鷺は姫のもとにやってきました。その日の夜、奥沢城は不審な人影に取り囲まれました。しかし異変に気付いた白鷺が、飼い主である吉良の殿様に知らせたため、吉良の殿様が遣わした兵によって奥沢城は守られました。そしてそれから後も白鷺は吉良の城には戻らず、奥沢のカヤの木にとまって姫たちを見守ったと言います。

以上奥沢城のカヤの木物語でした。
この「白鷺」「吉良氏」「大平氏(奥沢城)」がポイントになっているお話は、有名な常盤伝説の他にも、この奥沢のカヤの木のお話や、また崎姫と吉良頼康との縁結びのお話としても聞いたことがあります(崎姫は後北条の出)。それだけこの白鷺伝説は、世田谷で愛されてきたということですかね。
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by hirainatsuko | 2006-07-04 17:04 | 民話・伝説


世田谷の民話

今回は江戸時代の牢屋にまつわるお話です。

ある年、世田谷領のあちらこちらで突風が吹き、大変な被害が出ました。村の代表たちが被害を報告するために代官所に集まっていた時です。牢屋名主の松本家の使いから、牢屋から日が出たという報告を受けました。代官屋敷にもいつの間にかきな臭い匂いがたちこめ、代官を筆頭に名主たちは牢屋に駆けつけました。上宿、中宿、下宿の衆が総出で火を消しましたが、その夜再び焼け残った牢屋が炎上しました。これは無実の者が牢死したうらみに違いないといううわさが広がり、それから代官はみだりに人を罰しないようにと世田谷領に達しを出し、それ以降世田谷領では、人をとがめるよりも人の徳を大切にするようにしたとのことです。

はてさてこの松本家の牢屋が一体どこにあったかが分からなかったのですが、比較的代官屋敷に近いであろう事と、上・中・下宿の名が出てくることから、このお話は世田谷村の話としました。

そして。
世田谷にも牢屋ってあったのですね。
知らなかった・・・。
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by hirainatsuko | 2006-07-04 16:26 | 民話・伝説

    

きょうどしか(志望)
by ooyama michiko
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