世田谷これまである記 -blog編-


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まち歩き下見編  

7月25日に、今度おこなうまち歩きのイベントのための下見をしてきました。
このまち歩きのイベントは、一般の方に地域風景資産を知ってもらうのと、風景の魅力を知ってもらうことを目的に、9月9日におこなわれるものです。上町風景じゅくさんと世田谷区が協働で主催をしてがんばる!という感じです。

当日は3コースの中から好きな地域を選んでもらって歩く、という形になるのですが、今回は下見ということで、一日で3コース分一気に歩くこととなりました。
当日は20人の団体で歩くということを想定していますので、各コースとも距離は短めにとってあるのですが、果たして最後まで持つのやら・・・とちょっと不安を抱えてのスタートです。

最初は玉川地区の新町公園と駒沢給水塔をメインに持ってきたコースです。
ルートは、桜新町駅~新町公園~(桜神宮)~駒沢給水塔一周~久富稲荷神社~地区会館となっております。
この辺りはつい最近も歩いたところで、その時に成城と同じ「隅切り」がある!と思いました。
そこで今回桜新町の隅切りについて区の職員の方にうかがってみました。職員の方いわく、この辺りの区画は昭和に入ってから碁盤の目に整えられて、隅切りもその時の計画で行なわれたものなのだそうです。なので、成城の隅切りが住民の方々の取り決めで行なわれたのに対し、桜新町の方は国の整備計画の中で行なわれたという違いがあるということです。
また、コース最後の久富稲荷神社は初めて行くところでした。大きな通りから参道が長く続いていて、そこに鳥居がいくつも建っています。よくこれだけ長い参道が残ったなぁと思われるところです。
このコースは地区会館からまた駅に戻るところまでを1コースと考えますと、全部で約5500歩でした。

次は砧地区の三丁目緑地と市民緑地をメインにしたコースです。
ルートは、砧総合支所~仙川沿い~三丁目緑地~こもれびの庭市民緑地~富士見橋~支所という成城の南側を一周するコースです。
ここでは雨も上がり、日も少しさしてきて歩くには良い天気になってきました。ただ三丁目緑地は雨上がりということもあって下の土がすべりやすく、年配の参加者がいらっしゃった場合には大変だということになりました。また成城三丁目の裏手(崖下)に行く道もコースに入れたら地形が分かりやすくて良いな、と思っていたのですが、時間がなくて今回はあえなく除外されました。(時間があっても、アップダウンの厳しいところなので、大勢で歩くのはちょっときついかもしれませんが、、。)
この成城コースは全部で約6500歩。ちょうどいい感じのコースだと思いました。

最後は烏山コースです。ここが一番の長距離コースだという話だったので、最後まで辿り着けるか不安でいっぱいでした。
ルートは、上北沢駅~上北沢桜並木~釜の口緑地~芦花公園(愛子夫人邸)というみちのりです。しかし今回は駅からではなく、愛子夫人邸から駅に向かうという逆ルートを歩きました。
今回どのルートでもいえることなのですが、風景の魅力を歩きながら探してもらうというコンセプトなので、ポイントの間は風景を楽しんでもらう、、という考えなのですが、大雑把に言ってしまえばこの間は見るものがなくひたすら歩いているだけ、という状態に陥ってしまう恐れがあるのです。特にこの上北沢の桜並木と釜の口緑地の間は長いっ。今回団体で歩くよりはちょっと早く歩いたのにも関わらず、この間40分!!団体で歩けば1時間弱はあるかもしれないこの間を、ただひたすらてくてく歩くだけというのはどうなんだろう・・・・。いや、上北沢だけでなく他の地域でもそうなんです。というよりまち歩きというのはそういうものだと思うのです。しかし20人もの団体、しかも地域風景資産って何?という方々を連れて歩くのを想定しているわけですから、これはちゃんと最後まで行ききれるのか、今からドキドキです。
ちなみにこのコースは全部で約4900歩。あれ、一番短い?と思ったのですが、たぶん私がもう大分疲れていて、各ポイントでほとんど歩き回らなかったのが一つあると思います。あともう一つ、このコースは最後のポイント(休憩地)である芦花恒春園の愛子夫人邸から、参加者の皆さんはまた最寄の駅まで歩かなくてはならないのです。一番近いと思われる京王線の蘆花公園まで軽く10分~15分はみといていいと思うので、そうするとだいぶ距離が伸びますね。いやぁがんばれぇ~。


以上3コース。
当日私は砧の成城コースとなりますが、果たしてどんなまち歩きになるのやら、9月9日を楽しみにしてます。
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by hirainatsuko | 2006-07-27 12:49 | 協働事業 風景資産


若林まち歩き〜

23日に、若林の地図を作ろう会(なんだかもうちょっと違う名前だったような気がしますが、、)のまち歩きに参加させてもらって、若林1・2丁目を歩いてきました。

まず最初に頂いた制作途中(?)のマップが既にものすごくって驚いてました。
若林の1・2丁目は地元中の地元なのに、結構知らない路地も多かったです。
また最近通ってなかったところを今回こういう風に歩くと、新たな発見とともに幼少期の思ひ出をいっぱい感じられました。最後若林の駅前の商店街でうろうろしていた時も、そういえばここ、昔ガシャポンやら何やらやりに通ったのに、いつの間に住宅になったんだろう〜などと哀愁が感じられました。
また萩原園は、世田谷線から何だろう?と思ってみていたので、実際行くことができて嬉しかったです。

そして今回はせたがやじんも連れて歩きました。みなさんにアイドル並みに写真を撮ってもらって、せたがやじんはだいぶご満悦でした。
なので以下私が撮ったのですが、せたがやじんの写真集です。


若林の歩道橋から世田谷線をうしろに一枚
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若林稲荷にて
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淡島通りセメント工場
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鉄塔
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世田谷線にアピール中
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若林小学校盆踊り
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おつかれさま〜
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by hirainatsuko | 2006-07-24 22:25 | お散歩


成城歩き〜

この間の18日に成城を歩いてきました。
今度のまち歩きのイベントで、私は担当が成城ということになり、一度歩いておこうと思って行ってきました。

砧総合支所から北へ、杉と桜並木を見ながら歩き、今度は仙川を辿って南下しました。
ここはコースには入ってないのですが、「成城の町並み」というとやはり北側かな、という思い込みのもと今回は歩いてみました。
並木も、碁盤の目の区画も、隅切りも、見ることができました。
仙川は春、桜がすごいそうです。

駅より南側にも並木はありましたが、北側ほどの規模には出会いませんでした。
成城三丁目緑地を目指しててくてく歩きました。
e0030922_21492146.jpgここは地域風景資産に選定されているところで、今度のまち歩きでもメインになるところです。
水が湧き出るところらしく、こんこんと水が流れているところがありました。
敷地内はちゃんと整備されているんですが、私が行ったとき暗い感じがするほど緑が多かったです。(雨が降っていたというのも多分に影響しているとは思いますが・・・。)

ここから茶屋坂をみて、市民緑地を通り、不動橋(富士見橋)まではそんなに距離がないので良かったです。
あとは随所随所で坂を下らなければ、そんなに大変なコースではなさそうかな、、、と思われました。

e0030922_2151737.jpgただ雨がきついですね。
南は緑が多い地域なので、雨が降ると余計大変な気がしました。
当日晴れますように!












おまけ
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今回歩いた成城を地図にしてみました。
全行程ノンストップで約3時間でした(途中迷ってますが)。
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by hirainatsuko | 2006-07-24 21:55 | お散歩


せたがやじんと一緒♪ in桜新町駅~駒沢大学駅

今回は、東急田園都市線の桜新町駅から駒澤大学駅まで歩いてみよう!というお散歩でした。
よってこの区間を歩くということなので、桜新町に行ったのにサザエさん美術館には行っておらず、駒澤に行ったのに駒沢公園には行っていません~。(と言いますが、疲れてそこまで行けませんでした 涙。)

e0030922_1521295.jpgまず桜新町駅11時スタート。
一応駅前で「サザエさんの町」気分を味わってみました☆

またこの北口のすぐ側には農協がありまして、毎週土曜の朝8時半から野菜や花を売るそうです。








e0030922_1572791.jpgこの農協のところの路地を入って少ししたところに、新町公園という公園があります。
この公園は、昭和12年6月に世田谷区第一号公園として設置されたところです。世田谷区第一号ですよ!知る人ぞ知る・・・という感じですね。






e0030922_15103153.jpgまたこの公園は、第一回地域風景資産にも選定されています。ここには、公園のあらましとこの地域風景資産の選定について書いてある標識があるのですが、これはとっても珍しいことなのです。というのも、地域風景資産に対しては区は標識をつくっていないのです。しかしこの公園はたまたま公園名を書いた標識がなかったので、その名前をつけた標識をつくる時に一緒に地域風景資産についても書かせてもらった、という経緯を持っているため、この風景資産だけそれを示した標識があるのです。地域風景資産、、、まだまだ周囲の認知度が低いので標識をつくって欲しいという声もある中、この新町公園はおそらく唯一地域風景資産であるという標識が立っているところなんだろうと思われます。(ちなみに上の写真でせたがやじんが乗っているのがその標識です)
ここまで250歩。


e0030922_15233129.jpg次は桜神宮へ行ってきました。
はじめて訪れたのですが、この神社は本殿などの建物の後ろ姿が道路からよく見え、なんだか珍しい気がしたので写真に撮ってしまいました。宗教施設は道の突き当たりにある、というような話も聞いたことがあったので、住宅と一緒に神社も隣り合わせに見えるのは不思議な感じでした。
この神社には普通の絵馬かけの隣に小さいサイズで犬の絵馬かけも置いてありました。今年が戌年だからみたいでした。
また「お宮の友」といういわゆるフリーペーパーが置いてあって、ご自由にどうぞとあるのでもらってきてしまいまいました。巫女さんが編集しているみたいでして、若々しい感じがでています。そしてこの境内の隣に立派なマンションが建っていまして、一階が社務所になっていました。またこのマンションの外の椅子では、紫袴の神官さんが話しこんでらしたので、どうやらここも神社の建物らしいです。


e0030922_16581263.jpg次は水道道路を通って駒沢給水塔を目指します。
水道道路ってまっすぐなんですね。写真のさきぃぃぃlに給水塔が見えますでしょうか?










e0030922_17172033.jpgそして駒沢給水塔。まじかでみたのは初めてです。前に一度探しに来たんですが、どうしても見つからなくてその時は諦めたんです。今度は桜新町から来たので迷わずに着けました。しかし近いと逆に見えづらい・・・。

給水塔がみえる場所を探すのに1360歩。
ちなみに新町公園からここまでの歩数が急に途絶えたとお気づきでしょうか。実は万歩計のふたが開いていてカウントされてなかったんです!!なのでここからまた再スタートです。
あと、この写真を撮った裏手のマンションの1階に盆栽士の方が住んでいるらしく、マンションの壁のところに可愛い盆栽がいっぱい並んでました。


e0030922_17235544.jpg今度は善養院です。なんだかこの名前聞いたことあるなぁ、、と思っていましたら、前に等々力に行った時にカヤ木のあるお寺として善養寺というお寺さんが出てきたことを思い出しました。
このお寺には、和尚さんのちんちろりんというお話が伝わっているそうです。簡単に言ってしまいますと、お寺の裏山のタヌキと和尚さんがちんちろりんと言い合っていて、夜になってタヌキの声が小さくなって聞こえなくなったなと思ったら、タヌキがおなかを空かせて死んでいた、というお話です。いまではこの裏山の辺りには、首都高が走っていました。
ここまで1985歩。


e0030922_17302326.jpg最後は駒沢緑泉公園です。
ここは自然の魅力を引き出そうと昭和49年に作られた公園だそうです。
とても緑が深く、この時期は虫除けが必要かもしれません!
ここまで2730歩。







そして駒澤大学駅へ。
あとはてくてく歩くのみでしたが、途中駒沢小学校のあたりがちょっとアメリカ(?)っぽく「~st.」となっていて面白かったです。
もうひとつ、この桜神宮の近くの交差点も「角」がありませんでした。成城みたいに。

駒澤大学駅まで4730歩。
おつかれさまぁ。


おまけ
今日は七夕だったので。
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こんな可愛いものが路端におりました。
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by hirainatsuko | 2006-07-07 15:00 | お散歩


九品仏の民話

今回は九品仏についてのお話です。

池のほとりの小屋から、毎日朝早くからノミの音がきこえてきます。名主の彦兵衛は一体何事かと小屋を訪ねてみると、そこでは二人の僧が一心に仏を彫っていました。名主がもしや木喰上人(もくじきしょうにん)様ではないかと尋ねると、僧はそんな大それた僧ではないと答えました。そして、実はかつては武士として仕官していたが、上役の悪だくみで部下や町の衆までまきぞえられて罪人とされてしまい、自分はその卑怯者の上役を殺して僧になったと話しました。仏像を見た名主は是非村に安置させてほしいと申し出ました。
そして落慶式の日から一月ほどは、門前市がたち、江戸から町人が列をなして参詣しにきました。上人が仕官していた頃に世話をした人々が恩返しに参詣しに来たのです。驚いた名主達が再び上人を訪ねると、上人は既に旅立ちの姿をしていたといいます。

以上九品仏のお話です。
九品仏浄真寺は、1678年に珂碩(かせき)上人が創建したお寺です。もとは奥沢城であったところで、つい最近までは境内に鷺草園がありましたが、現在はなくなってしまいました。
またここは三年に一度のお面かぶりが有名です。三年に一度なので、次は2008年の夏ですね。
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by hirainatsuko | 2006-07-04 18:04 | 民話・伝説


野毛の民話 その2

野毛といったら野毛大塚古墳。野毛古墳群の中でも最大規模の前方後円墳です。
現在は公園になっていて、昼間は小さい子供たちが古墳を駆け下りたりして遊んでいます。
今回はその野毛大塚古墳にまつわるお話です。

ある日村の二人の青年のうち、平吉は血を吐いて死に、清助は突然狂ってしまいました。村の世話人の新兵衛はただ事ではないと思い、二人の青年の親に事情を聞いてみますが、なんとも返事が返ってきません。新兵衛は思い当たることがあり、翌朝早く大塚山に行ってみると、そこには清助がほり土にむかってとなえごとをしていました。二人で塚を掘り、死んだ平吉は勾玉や黄金を盗んだというのです。盗んだものを元の通り戻したら、狂った清助は元に戻りました。しかし堀り口に土をかけても、穴は赤い血を吹きふさがらないので、清助は先ほどのようにとなえごとをしていました。新兵衛が穴を土で固めるとやっと赤い血が止まりました。しかし今までいた清助が急に消えてしまったのです。
新兵衛が家に帰ると、すぐに清助の親がやってきて、息子が血を吐いて死んだと知らせました。

以上、赤い血を吹く野毛大塚古墳の話でした。
『せたがやの民話』には野毛大塚古墳について、南関東最大の円墳であると説明しています。5世紀前半の築造とみられ、明治30年頃に頂上から石棺が出てきて、古墳であることが判明したそうです。それまでは古城跡と考えられていました。明治後期には古墳の頂上に吾妻神社がまつられ、日露戦争当時は弾除けの神として参詣者が列をなし、茶店が出たほどだったといいます。

・・・そうだったんだ。なんで弾除けの神様とされたんでしょう。
ちなみに野毛古墳群についてもう少し紹介させてもらうと、かつて武蔵国は北と南の勢力に分かれていました。日本書紀によると、北の使主(おみ)と南の小杵(おき)とで争っていたと書かれています。そして534年に大和朝廷にまつろわぬ小杵が、使主を殺そうとしますが、大和朝廷に助けを求めた使主が逆に小杵を殺します。この殺された小杵の本拠地が、多摩川沿いの田園調布古墳群やこの野毛古墳群だったとされています。ちなみに使主の本拠地は埼玉古墳群の辺りと推定されています。
太古のロマン・・・ですかね。
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by hirainatsuko | 2006-07-04 17:35 | 民話・伝説


奥沢の民話 その2

奥沢城のカヤの木にまつわるお話です。

奥沢城にはとても美しい姫が住んでいました。ある日傷ついた白鷺が奥沢城のカヤの木にとまりました。これに気付いた姫は白鷺の手当てをして、白鷺はみるみる元気になりました。元気になった白鷺に元の巣に戻るようにと言い、奥沢城であずかっていたことをしたためた文を白鷺の足に結びました。幾日か経って、再び白鷺は姫のもとにやってきました。その日の夜、奥沢城は不審な人影に取り囲まれました。しかし異変に気付いた白鷺が、飼い主である吉良の殿様に知らせたため、吉良の殿様が遣わした兵によって奥沢城は守られました。そしてそれから後も白鷺は吉良の城には戻らず、奥沢のカヤの木にとまって姫たちを見守ったと言います。

以上奥沢城のカヤの木物語でした。
この「白鷺」「吉良氏」「大平氏(奥沢城)」がポイントになっているお話は、有名な常盤伝説の他にも、この奥沢のカヤの木のお話や、また崎姫と吉良頼康との縁結びのお話としても聞いたことがあります(崎姫は後北条の出)。それだけこの白鷺伝説は、世田谷で愛されてきたということですかね。
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by hirainatsuko | 2006-07-04 17:04 | 民話・伝説


世田谷の民話

今回は江戸時代の牢屋にまつわるお話です。

ある年、世田谷領のあちらこちらで突風が吹き、大変な被害が出ました。村の代表たちが被害を報告するために代官所に集まっていた時です。牢屋名主の松本家の使いから、牢屋から日が出たという報告を受けました。代官屋敷にもいつの間にかきな臭い匂いがたちこめ、代官を筆頭に名主たちは牢屋に駆けつけました。上宿、中宿、下宿の衆が総出で火を消しましたが、その夜再び焼け残った牢屋が炎上しました。これは無実の者が牢死したうらみに違いないといううわさが広がり、それから代官はみだりに人を罰しないようにと世田谷領に達しを出し、それ以降世田谷領では、人をとがめるよりも人の徳を大切にするようにしたとのことです。

はてさてこの松本家の牢屋が一体どこにあったかが分からなかったのですが、比較的代官屋敷に近いであろう事と、上・中・下宿の名が出てくることから、このお話は世田谷村の話としました。

そして。
世田谷にも牢屋ってあったのですね。
知らなかった・・・。
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by hirainatsuko | 2006-07-04 16:26 | 民話・伝説


弦巻の民話

今回は弦巻にあった「タンチ山」のたぬきの恩返しです。

タンチ山に突然お寺を建てることが決まり、山のふもとの百姓彦兵衛にも立ち退きが命ぜられました。彦兵衛は立ち退きに際して、役人に自分は代わりの土地が与えられるから良いが、山にいるタヌキやリスがかわいそうでならないと訴えました。それを聞いた役人は、彦兵衛の家と周りの雑木をそのままに残し、代わりに畑を一部ひらくということにしてくれました。これを縁の下で聞いたタヌキやリスは目頭を熱くしたそうです。
何年か過ぎ、タンチ山に立派なお寺が建ちました。しかし翌年には村は竜巻とひょうに襲われ、夏には冷雨が、そしてサトイモ畑には花が降ってくるという不思議な日々が続き、どこも不作となりました。するとある晩、彦兵衛の家を、タヌキが米俵を抱えてやってきました。あくる日にはリスが大豆や小豆を抱えてやってきました。タヌキもリスも彦兵衛に恩返しをしにきたのです。

という、目頭が熱くなるような恩返しの話でした。

ちなみにこのタンチ山について、また『せたがやの民話』から紹介します。
タンチ山に建立されたお寺は「長徳寺」というお寺で、現在は上北沢1丁目にあるそうです。このお寺は1488年に吉良成高が開基したと言われています。その後1559年に吉良頼康が江戸本芝に水軍の基地を設けたため、長徳寺も本芝に移転しました。第二次大戦で戦災にあいましたが、太子像と寺宝は桜上水に移転していて、昭和41年に本堂が現在の位置に建てられたそうです。
タンチ山は現在住宅地になっていて、1559年に長徳寺が移転した後は、昭和初期まで雑木林でした。明治の末ごろ、こじきの親方タンチイ夫婦がこの山に住み始めてから、タンチ山と呼ぶようになったそうです。

・・・すごい。完璧に調べてある。
しかし、吉良頼康が江戸に水軍の基地をつくっていたとは知らなかった。未だに吉良氏の勢力図が分からない・・・。
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by hirainatsuko | 2006-07-04 16:08 | 民話・伝説


代田の民話 その3

今回は代田のお話です。
前回『ふるさと世田谷を語る』で既に二つ紹介されていたのですが、ここでは笛吹きのお話を紹介します。

代田の飴屋の五郎は、村の鎮守のお祭りでおこなう祭囃子のため、村の若い衆に笛の稽古をつけています。しかしこの時期は五郎自身も家業の飴作りが忙しい時期で、毎朝早く起きて仕事をしていました。しかし稽古先では家業のことはおくびにも出さず、忙しい中、せたかい(注:世田谷のこと)の村以外にも荏原や大森の村にも教えに行っていました。いつしか五郎の笛はとても有名になり、「名人音五郎」といわれるようになりました。そして、人々に笛の秘伝を尋ねられると、「そんなものはない。自然にさからわなければいいんだろう。」と答えたそうです。

以上なのですが、世田谷には他に等々力などにも笛吹き名人のお話が残って、等々力囃子は現在でも有名です。代田の鎮守様の祭礼には行ったことがないのですが、このあたりはどこの秋祭りにもお囃子を吹く人々がいて、世田谷では比較的現在でも多くの地域で、祭囃子は受け継がれているんではないかと思っています。
でも正確なことは知らないです・・そういえば自分の氏神様の秋祭りでは、祭囃子の奉納はなかったような気がしてきました。あれ、今はどれくらい残っているのでしょう!?
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by hirainatsuko | 2006-07-04 15:42 | 民話・伝説

    

きょうどしか(志望)
by ooyama michiko
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