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世田谷これまである記 -blog編-


行ってきました! 大山詣で

この間の11月22日(土)に、
大山道場講座で、大山詣でに行ってきました。

天気もよく、紅葉がきれいだろうなぁと思っていましたら、
その分、人もすごかったです。
今回で大山に行くのは2回目なのですが、
前回とは比べ物にならないくらいの、人人人・・・・でした。
最初の伊勢原駅から大山に行くバスに乗るのに、もう長蛇の列。
バスも臨時バスを走らせ、5分に1本くらいの勢いで走っていました。

さて、バスにも何とか乗れて
最初に伺ったのは、良弁の滝にある宿坊「おおすみ山荘」です。
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こちらの当主の方は、大山阿夫利神社の先導師で、
現在の当主は37代目となるそうです。 
初代の方は、鎌倉幕府の命を受けて入山されたそうで、
大山で長い歴史を刻んでこられたのですね。
ただ、安政元年~2年にかけて大火があり、
集落がかなり燃えてしまい、資料もほとんど残っていないそうです。
安政3年に大山が再建された時に、この宿坊も再建され現在に至ります。

行ってきました! 大山詣で_e0030922_12495812.jpg

この襖絵は、安政3年に再建された当時のものなんだそうです。
客室にふつうに使われています。すごいです。
同じく安政3年当時の神殿もあり、みせていただくことができました。
明治の神仏分離前のものなので、「大山阿夫利神社」ではなく「石尊社」の名前で
祀ってあります。

また、こちらの先導師さんは、現在でも関東一円に80講社をもっていらっしゃって、
各講で世代交代もおこなわれているそうです。
今でも東京の講の人は、大山詣での帰りに江の島に行くという方もいらっしゃると
おっしゃっていましたよ。

お昼ごはんもこちらでいただきましたよ!
大山豆腐も食べられて大満足です!!
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最後に阿夫利神社のお守りを参加者全員にいただきました。
お話もしていただき、お昼もご用意いただき、本当にお世話になりました!


おおすみ荘を後にして、大山を目指します。
ケーブルカー乗り場までの、こま街道も人が大勢で大変な賑わいでした。
案の定、ケーブルカーも30分待ちです。  ・・・すごい。
行ってきました! 大山詣で_e0030922_12514940.jpg

ケーブルカーの職員の方が、
こんなに混むのは、この紅葉の頃の3連休とお正月の時くらいだって言っていました。

はてさて、1車両に100人乗って一路大山阿夫利神社下社へ。

着きました!大山阿夫利神社、紅葉がきれいです!
行ってきました! 大山詣で_e0030922_12524823.jpg



石段を登り切ると、すばらしい眺望です。
写真では分かりにくいのですが、江の島もくっきり見ることができました。
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ご神水へと通じる場所には、大きな納太刀がありましたよ。
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源頼朝が、武運長久と除災を祈願して剣を供えたことが、
この納太刀の起源といわれています。

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こちらは、大山阿夫利神社上社への登山道です。
かつては夏山開き(7月27日~8月17日)以外は登ることができなかったのですが、
現在はいつでも登ることができます。
しかし、かつての伝統を失わないために
登拝門(登山道入口にある門です)は片開きとなっていて、片方の扉は閉まっています。


最後は、ちょっと暗いですが、二重の滝です。
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大山阿夫利神社は、雨乞いの信仰もあり、
ここの滝の水を持って帰ると雨が降る、と言われています。
しかも、水をもらったら立ち止まってはいけないのです。
今でも、雨乞いのために、ここの水をもらって行く方々はいらっしゃるそうです。
今は車なので、止まらずに帰るのは大変なんだそうですよ!

以上で、大山道場の大山詣では終了です。

帰りは、他の参加者の方とご一緒させてもらい、
下社からこま街道まで歩いて下山しました。
途中、女坂7不思議や、大山寺の紅葉を見ることができました。
また遠くに鹿も見られましたよ。
しかし思ったより急坂で、下るのに1時間はかかったと思います。
そして予想通り、次の日ものすごい筋肉痛でした。 ・・・日頃の運動不足が・・・。


今回は、先導師の方や『大山街道を歩く』の著者の方、また他の参加者の方など
多くの方から、いろいろなお話を聞くことができ、貴重な体験ができました。
また、参加者の方他に、国学院大学出身の方が何人もいらっしゃってビックリです。
先輩がいっぱいでした!

みなさん、ご参加お疲れ様でした。
いろいろとありがとうございました!
# by hirainatsuko | 2008-11-27 12:57 | 大山道場


大山道オープン講座 9月20日

大山道オープン講座 9月20日_e0030922_057505.jpg


大山道おこし実行委員会というところが、
大山道に興味のある人集まれ!ということで、
9月20日に、大山道の講座を開きました。

大山道おこし実行委員会とは、
大山道の歴史と用賀のまちの歴史を守り育てていくために、
用賀町会・上用賀町会・用賀南町会・用賀商店街振興組合が
中心となって活動をしているのですよ。

いくいくは、大山道や用賀の昔について、
語り継いでくれる人が育てられると良いなぁということです。
でも、大山道や歴史に興味のある、いろんな人が集まってくれたら良いです。

9月20日は、その第一回目の講座。
講師の先生は飯田先生です。
「大山道と用賀」という題で、用賀の20年前のビデオを見せてくださったり、
新玉川線用賀駅の立地についてや、用賀条通りについてお話下さいました。
また、大山道につていは、
平安時代の矢倉沢往還にはじまり、
明治時代の軍需道路の性格が色濃くなっていくところまで
時代を追ってのお話でした。
大山道の「道」としての歴史をはじめて知りました~。

他の参加者の方も、いろいろと興味を持ってくださったようで、
今後の講座の進め方についても、いろいろとご意見が出ていましたね。
今後、どんな風に進んでいくのか、楽しみです☆
# by hirainatsuko | 2008-09-25 01:04 | 大山道場


これまで

〇せたがやこれまである記PJ
・世田谷ネットのMMに「世田谷の地名の由来」を掲載

・MMの地名の由来掲載記事をまとめた『世田谷これまである記』を自費出版

・商工会議所世田谷支部の支部だよりに「世田谷これまである記』を掲載
 (ボランティアセンター発行「セボネ」にて紹介)
これまで_e0030922_16243362.jpg












・blogにて「世田谷の民話」編作成

・blogにて「世田谷のお散歩」編で区内の名所をめぐり紹介



〇まち案内のボランティア


〇世田谷区協働促進事業「風景の魅力探し促進事業」にて
  まち歩きツアーのガイド

〇ふるさと世田谷2daysウォーク&ウォーキングフェスタにて
  大山道コースに参加
  コースマップ作成・ガイド担当
# by hirainatsuko | 2008-09-12 16:35 | 身上書


松原の半田塚

松原の民話で紹介した半田に行ってきました。
半田はかつての小字名で、ここには「半田塚」というものがあります。

松原の半田塚_e0030922_14495897.jpg

半田塚は、今でもちゃんとありました。
江戸時代(1828年)に書かれた「新編武蔵国風土記稿」では、
「墳墓、半田塚、小名スナハチ半田ト云。コノ塚アルユヘニ地名モ起レリト云。
 ・・・何人ノ墳ナリヤソノ来由ヲ伝ヘザレバ、詳ナルコトヲ知ラズ」
とあるそうです。
ちなみに、松原の「半田」はその後区域が縮小されて「半田塚」となり、
赤堤の「半田塚」は「梅檀並」と変更されたそうです。
(世田谷区教育委員会の看板より)
半田塚は現在の住所でいいますと、松原6-20になります。


また近くには、都立梅ヶ丘病院があります。
ここは、北杜夫の『楡家の人々』にでてくる楡病院のモデルとなった病院です。
当時は「青山脳病院本院」だったのですが、大正末期に都によって買い上げされて
現在の都立梅ヶ丘病院になりました。
北杜夫は斉藤茂吉の次男で、斎藤茂吉は青山脳病院の院長でした。
(世田谷文学館『あの名作の舞台』より)
なので、病院の正門の所には斎藤茂吉の歌碑が建てられています。
私は『楡家の人々』を読んだことがないのです。
今度チャレンジしてみたいと思います!
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他にも松原には、「松原寺町」と呼ばれる界隈があります。
ここは烏山の寺町同様、大正12年の関東大震災後に移ってきた寺で構成されています。
寺は、浄徳寺・正法寺・延重寺・常念寺・勝林寺の5つです。
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このあたりは道が入り組んでいて少し迷いましたが、
ちょっと情緒のある風景に出会えます。
# by hirainatsuko | 2008-01-11 16:22 | 民話の舞台


豪徳寺井伊家墓所見学会

12月7・8・9日で、
豪徳寺にて井伊家墓所見学会なるものがおこなわれました。

これは、今年の11月16日の文化審議会において、
豪徳寺が、滋賀県にある「清涼寺」と「永源寺」と一緒に、三ヵ寺まとめて
彦根藩井伊家の墓所として国指定の史跡とするという答申があったことをうけ、
世田谷区の教育委員会がひらいた見学会です。

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こちら、豪徳寺の境内にあった立て看板です。
ひこにゃんとせたがやじんの夢の共演です!

豪徳寺の井伊家墓所というと、
13代藩主の井伊直弼の墓しか知らなかったのですが、
直弼の墓がある一帯が全部井伊家の墓所だったのに驚きでした。
井伊家墓所には藩主・正室・世嗣・継室の墓、
またその北側には江戸藩邸で亡くなった藩士とその家族の墓石も建造されています。
豪徳寺を、井伊家の江戸の菩提寺として整えた、
2代藩主直孝の長女のお墓もちゃんとありました。・・・知らなかった。

国指定の文化財になった理由の1つとして、
これだけ広い敷地を有する近世大名の墓所で、
震災や戦災などによって改葬・再配置などの変更が1度もおこなわれていない
ということがあるそうです。
井伊家墓所は万治年間の姿を今にそのまま伝えているとのことです。
# by hirainatsuko | 2007-12-13 17:00 | 史跡

    

きょうどしか(志望)
by ooyama michiko