世田谷これまである記 -blog編-


奥沢の民話 その2

奥沢城のカヤの木にまつわるお話です。

奥沢城にはとても美しい姫が住んでいました。ある日傷ついた白鷺が奥沢城のカヤの木にとまりました。これに気付いた姫は白鷺の手当てをして、白鷺はみるみる元気になりました。元気になった白鷺に元の巣に戻るようにと言い、奥沢城であずかっていたことをしたためた文を白鷺の足に結びました。幾日か経って、再び白鷺は姫のもとにやってきました。その日の夜、奥沢城は不審な人影に取り囲まれました。しかし異変に気付いた白鷺が、飼い主である吉良の殿様に知らせたため、吉良の殿様が遣わした兵によって奥沢城は守られました。そしてそれから後も白鷺は吉良の城には戻らず、奥沢のカヤの木にとまって姫たちを見守ったと言います。

以上奥沢城のカヤの木物語でした。
この「白鷺」「吉良氏」「大平氏(奥沢城)」がポイントになっているお話は、有名な常盤伝説の他にも、この奥沢のカヤの木のお話や、また崎姫と吉良頼康との縁結びのお話としても聞いたことがあります(崎姫は後北条の出)。それだけこの白鷺伝説は、世田谷で愛されてきたということですかね。
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# by hirainatsuko | 2006-07-04 17:04 | 民話・伝説


世田谷の民話

今回は江戸時代の牢屋にまつわるお話です。

ある年、世田谷領のあちらこちらで突風が吹き、大変な被害が出ました。村の代表たちが被害を報告するために代官所に集まっていた時です。牢屋名主の松本家の使いから、牢屋から日が出たという報告を受けました。代官屋敷にもいつの間にかきな臭い匂いがたちこめ、代官を筆頭に名主たちは牢屋に駆けつけました。上宿、中宿、下宿の衆が総出で火を消しましたが、その夜再び焼け残った牢屋が炎上しました。これは無実の者が牢死したうらみに違いないといううわさが広がり、それから代官はみだりに人を罰しないようにと世田谷領に達しを出し、それ以降世田谷領では、人をとがめるよりも人の徳を大切にするようにしたとのことです。

はてさてこの松本家の牢屋が一体どこにあったかが分からなかったのですが、比較的代官屋敷に近いであろう事と、上・中・下宿の名が出てくることから、このお話は世田谷村の話としました。

そして。
世田谷にも牢屋ってあったのですね。
知らなかった・・・。
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# by hirainatsuko | 2006-07-04 16:26 | 民話・伝説


弦巻の民話

今回は弦巻にあった「タンチ山」のたぬきの恩返しです。

タンチ山に突然お寺を建てることが決まり、山のふもとの百姓彦兵衛にも立ち退きが命ぜられました。彦兵衛は立ち退きに際して、役人に自分は代わりの土地が与えられるから良いが、山にいるタヌキやリスがかわいそうでならないと訴えました。それを聞いた役人は、彦兵衛の家と周りの雑木をそのままに残し、代わりに畑を一部ひらくということにしてくれました。これを縁の下で聞いたタヌキやリスは目頭を熱くしたそうです。
何年か過ぎ、タンチ山に立派なお寺が建ちました。しかし翌年には村は竜巻とひょうに襲われ、夏には冷雨が、そしてサトイモ畑には花が降ってくるという不思議な日々が続き、どこも不作となりました。するとある晩、彦兵衛の家を、タヌキが米俵を抱えてやってきました。あくる日にはリスが大豆や小豆を抱えてやってきました。タヌキもリスも彦兵衛に恩返しをしにきたのです。

という、目頭が熱くなるような恩返しの話でした。

ちなみにこのタンチ山について、また『せたがやの民話』から紹介します。
タンチ山に建立されたお寺は「長徳寺」というお寺で、現在は上北沢1丁目にあるそうです。このお寺は1488年に吉良成高が開基したと言われています。その後1559年に吉良頼康が江戸本芝に水軍の基地を設けたため、長徳寺も本芝に移転しました。第二次大戦で戦災にあいましたが、太子像と寺宝は桜上水に移転していて、昭和41年に本堂が現在の位置に建てられたそうです。
タンチ山は現在住宅地になっていて、1559年に長徳寺が移転した後は、昭和初期まで雑木林でした。明治の末ごろ、こじきの親方タンチイ夫婦がこの山に住み始めてから、タンチ山と呼ぶようになったそうです。

・・・すごい。完璧に調べてある。
しかし、吉良頼康が江戸に水軍の基地をつくっていたとは知らなかった。未だに吉良氏の勢力図が分からない・・・。
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# by hirainatsuko | 2006-07-04 16:08 | 民話・伝説


代田の民話 その3

今回は代田のお話です。
前回『ふるさと世田谷を語る』で既に二つ紹介されていたのですが、ここでは笛吹きのお話を紹介します。

代田の飴屋の五郎は、村の鎮守のお祭りでおこなう祭囃子のため、村の若い衆に笛の稽古をつけています。しかしこの時期は五郎自身も家業の飴作りが忙しい時期で、毎朝早く起きて仕事をしていました。しかし稽古先では家業のことはおくびにも出さず、忙しい中、せたかい(注:世田谷のこと)の村以外にも荏原や大森の村にも教えに行っていました。いつしか五郎の笛はとても有名になり、「名人音五郎」といわれるようになりました。そして、人々に笛の秘伝を尋ねられると、「そんなものはない。自然にさからわなければいいんだろう。」と答えたそうです。

以上なのですが、世田谷には他に等々力などにも笛吹き名人のお話が残って、等々力囃子は現在でも有名です。代田の鎮守様の祭礼には行ったことがないのですが、このあたりはどこの秋祭りにもお囃子を吹く人々がいて、世田谷では比較的現在でも多くの地域で、祭囃子は受け継がれているんではないかと思っています。
でも正確なことは知らないです・・そういえば自分の氏神様の秋祭りでは、祭囃子の奉納はなかったような気がしてきました。あれ、今はどれくらい残っているのでしょう!?
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# by hirainatsuko | 2006-07-04 15:42 | 民話・伝説


奥沢の民話

これから12話分は、『せたがやの民話』に掲載されているお話で、『ふるさと世田谷を語る』では紹介されていなかったものをとり上げたいと思います。

まずは奥沢神社のお話から・・・。

奥沢では毎年秋になると、村人が体調を崩しました。秋は農作物の収穫があり忙しい時期なので、村人は大変困りました。村の境や入り口などを清めても効果がありません。村の名主さんも体を壊し寝込んでいると、枕元に八幡の神様が現れてこう言いました。「村の祭りの時に、四本柱の鳥居に縄で編んだ蛇を巻きつけなさい。そして祭りの前には村中を掃除なさい。」
八幡の神様の言われたとおりに祭礼をおこなうと、奥沢村には祭りの日から病人はいなくなったと言うことです。

この本の最後には「民話のふるさとを訪ねて」というコーナーがあり、各民話の舞台となった場所を紹介しています。その中に奥沢神社も載っているのでここに記しておきます。

奥沢神社は、吉良氏の家臣である大平氏が奥沢に城を築くにあたり、世田谷東部の守護神として八幡神を勧請したのが始まりだと伝わっています。民話に出てくる「大蛇のお練り」は毎年9月14日の大祭におこなわれ、9mもある縄で作った大蛇が練り歩きます。現在では神社入り口のみですが、昭和14年までは奥沢の町中を練り歩いていました。またこのお練りは昭和14年から32年間中断されていました。というのも、昭和14年にこれまで木造であった鳥居が石造りのものに変えられ、お練りの後に石の鳥居に大蛇を巻きつけたら、大蛇が石で腹を冷やしてしまうから、ということだったそうです。

以上奥沢の大蛇についてでした。
『せたがやの民話』には舞台となったところの説明も載っていて、私が調べて紹介するところが更に少なくなってしまうのです・・・が、ちゃんと調べられてあるんだなぁと思います。
常盤伝説などでたびたび出てくる吉良家臣の大平氏の居館は、現在九品仏のある浄真寺になります。今では大平氏の居館を偲ばせるものはほとんどないのですが、境内にかつて土塁だったものの一部が残されているということを聞きかじりました。
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# by hirainatsuko | 2006-07-04 15:08 | 民話・伝説


岡本民家園七夕祭り

今日は岡本民家園の七夕祭りです。
前回訪れた時に、七夕飾りを民家園の方に教わり、今度自分たちで作って持って行きますと言ったことが発端で、初めて民家園の行事に出かけていきました。

あいにくの雨でしたが、小学生くらいの子供たちと親御さんがたっくさん民家園にいました。焼きそばやヨーヨーの店も出ていましたし、世田谷のトマトやきゅうりなども売っていました。また入り口には、せたがやトラストが笹を1本100円で配っていました。

かなりの賑わいの中、民家内の折り紙教室も人がいっぱいでした。前回お会いした方に七夕飾りをお見せして、飾るためにヒモを通してもらいました。晴れたら笹に飾ってくださるそうです。民家園の方にはよくできたわね~と言ってもらいましたが、正確にはこの七夕飾りは駄菓子屋に来た少年に最後作り上げてもらったものだったりするのですが、その辺多分民家園の人には上手く伝わってないかと・・・。

e0030922_1724565.jpgまぁ、そんなこんなで、私も小学生と一緒に織姫と彦星を折り紙で教えてもらいました。駄菓子屋に飾ろうかと思います♪












e0030922_17253989.jpg他には短冊を笹の葉に結わくことができたので、筆で必死に願いを込めて書いてきました。
どうぞかないますように。












補足
今回帰り道に、万歩計を装着して二子玉川の駅まで歩いてみました。
およそ2500歩。
最近の運動量計算は時間のようで、およそ20分歩いたので計算してみると34キロカロリー消費。。。
マクドナルドのカロリー表示を見ると、ホットコーヒー(M)にコーヒーフレッシュとシュガーを足したらもうオーバー。でもまぁそんなところですかね。


e0030922_15141766.jpgおまけ♪

前回気付かなかった、岡本神社の石灯籠です。両基とも松任谷夫妻の名前が確かに入っていました。
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# by hirainatsuko | 2006-07-02 17:27 | お散歩


第一回目地域風景資産の同窓会

なるものが、7月1日におこなわれました。
来年度、第二回の地域風景資産を選定するために、今年度は準備としていろんな活動をします。その中の一弾目が、この第一回目地域風景資産に選ばれた団体の同窓会です。

一回目の方々のお話を伺って、次に繋げよう!というのが大きな目的でした。
私は当日板書みたいなことをしていてメモを取っておらず、正確には覚えていないのですが、およそ10の団体の方がいらしてくださいました。

今回の話を大まかにまとめると、
地域風景資産は、コミュニティの形成というのが大きなポイントになっていて、これをまず踏まえて考えねばならないということ。
そしてせっかく選定されても、その場所が地域風景資産であるということの、周りの認知度が低い、ということが各団体さんから挙がった意見でした。これに対して、区がせたがや百景のような標識を建ててくれたら良いというお話もありました。

世田谷の風景に対する考えとして、凍結保存ではなく、生活の一部として人々が育てていく。そしてその風景を活かすためにはコミュニティが大事である、ということがあると思うんです(多分)。これはなかなか難しいことだと思うのですが、今後風景を考えていく上では大事な事なんだと思います。そして第一回目の時に、この風景資産が36も選定されたということが、さすが世田谷すごいっっと勝手に思っております。

この同窓会の後は、上町風景じゅくの一周年を記念した会がひらかれ、区の方ともお話ができて楽しかったです。
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# by hirainatsuko | 2006-07-02 16:48 | 協働事業 風景資産


せたがやじんと一緒♪ in喜多見 with2回目コワクツさん

今回は念願の念願のっ、「喜多見」に行って来ました!!!
喜多見氷川神社と次太夫堀民家園は一回だけ行ったことがあったのですが、あとのところは初めてで、そして何より慶元寺の三重塔がある風景を見てみたくて見てみたくて、わくわくしながら行ってきました。
そして今回もまた瀬田・岡本編に引き続き、コワクツさんが参加してくださいました。しかも何と万歩計をせたがやじんに下さったので、今回は全行程何歩歩いたか!?というお楽しみ付きです。(注:ちなみに万歩計、折角せたがやじんにプレゼントしてもらったのですが、彼は通常ずっと浮遊しているので、代わりに私が付けさせて頂きました。以下ご了承くださいませませ。)

まずは前回同様二子玉川駅に集合。
その後今回は途中までバス移動としました。
玉川07系統or08系統に乗って「下宿」で下車。ここを出発地点として万歩計を0にリセットし、12時半スタート!

e0030922_13435779.jpgてくてく歩いて最初は喜多見の原風景とされている辺りを目指しました。途中喜多見小学校の前を水が流れていて良いなぁなんて思いながら歩いていましたら、なんとこの小川(?)の元に行き当たりました。どうやら人工的に水を湧かせている感じでした。珍しかったのでここで一枚記念写真☆





e0030922_13505033.jpgそんなことをしつつ、具体的には竹林のあるところを探していたのですが、これがわからない!住所は大まかに「喜多見三丁目付近」としか載っていませんで・・。でもうろうろと迷っている内に、それらしきところに出ました!しかも「竹林のある小経」と紹介されていたのですがここには私有地の看板が。しかし多分ここに違いない、ということで写真を一枚。きちんと竹が手入れされているよ感じを受ける場所でした。ちなみにこの写真、せたがやじんはちゃんと見つかりますか?
~ここまで1488歩。


e0030922_13574890.jpg次は諏訪神社に行きました。途中お米やさんがありまして、ここでは焼きおにぎりをやっている模様。今度是非食べてみたいなと心に刻みました。この神社は人もいない小さな神社だったのですが、きれいに掃き清められていました。コワクツさんが参道に榊が植えてあるっっと発見。確かに小さな榊が植わっています。
~ここまで1996歩(何だか年号みたいな数字ですね)。

ちなみにこのあたり(竹林~知行院)てくてくと歩いているところは「いかだ道」と呼ばれている道の一部です。かつて奥多摩の材木は、人口増大や火事の多い江戸市中にとってはとても大事な資源でした。奥多摩で切り出された材木は青梅辺りで筏として、筏師達が多摩川を下って運んできました。そして筏師たちが帰りに使った道を「いかだ道」と呼んだそうです。しかし幕末辺りには盛んだった筏流しも、交通の発達や水量の減少で大正頃には消えてしまいました。なので現在はわずかに面影を感じることができる程度です。

さてこの日午後からとてもいい天気で、気温もぐんぐん上がっていき、知行院辺りに来た頃には大分暑さにやられていました。そんな中スーパーを発見!これは涼んでいかねばっと入ってみました。スーパーASAHIYA。ここには世田谷産のトマト、小松菜、きゅうりの他に、世田谷ティッシュや世田谷ロールも販売していました。とてもジモティなスーパーでした。

e0030922_14192558.jpgASAHIYAさんで一休みして知行院へ。ここは喜多見勝忠が元和元年(1615)に建てた寺院です。喜多見氏の陣屋から鬼門の方角に、鬼門除けとして建立されました。ちなみにこの知行院の前には、かつて半農半商であった「城田家」があり、筏師たちが休息に利用したといわれています。ここのお寺さんはとっても立派で、中でも彫がとても豪華な印象を受けました。
~ここまで2579歩。

e0030922_14293970.jpg続いて今度は須賀神社へ。ここの社殿は神楽殿が前半部についているという変わった造りをしています。また区内唯一の「湯花(ゆばな)神事」を8月2日におこなっています。
~ここまで2919歩。
またこの神社の隣には竹林となっている「六天塚古墳」があります。この古墳は五世紀後半のもので、竪穴式の石室となっています。写真は六天塚古墳のものです。

e0030922_14384823.jpg次に稲荷塚古墳へ。地図の通り歩いたはずなのに、また見つからずにうろうろしていたら、慶元寺の三重塔が畑の向こうに見えたのです!!ををっこれが「慶元寺三重塔がある風景」だっ。と佇んでしまいました。けれどもまずは稲荷塚古墳ということとで、泣く泣くその場を離れ右折しました。が、なんだかんだと迷いましたが、結局稲荷塚古墳は私が三重塔をみて佇んだところから右折せずにまっすぐ十歩ほど歩いたところにありました。~いやはやここまで3780歩。
稲荷塚古墳は七世紀のもので、横穴式石室です。圭頭太刀などの出土品がありました。この古墳は農地の開発によって削られ、石室が露出していましたが、葺き石が落ちて石室を覆っていたため、盗掘を免れることができました。本を見た時は農地の中にこんもりと古墳があったのですが、現在は公園の中にあって、ここでは何人かの人が草むしりなどの整地をしていました。
ちなみに区内のほかの古墳は全て多摩川の左岸台地縁辺にあるのですが、この喜多見古墳群は立川面という低い段丘の上にあります。後期に属する小円墳です。

そして次は念願の慶元寺です!!
先ほどの風景をとくと味わいました。ここは地域風景資産に選定されているので、何か活動している団体がいらっしゃると思います。畑の中に三重塔が見える風景はなかなか素敵だなと思いました。
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このお寺は1186年に二代目江戸重長が建立したといわれています。境内はとても広く、参道も本堂もとても立派でした。三重塔もライトアップできそうな雰囲気がありましたね。
~ここまで4605歩。

三重塔をみながら、今度は喜多見氷川神社へ。地図で見ると慶元寺とは道を挟んで隣の敷地なのですが、寺の参道が神社とは反対方向のため、ぐるっとまわっていかねばなりません。
e0030922_15274624.jpgここの二の鳥居は、江戸重恒・重勝が寄贈したものだそうです。一の鳥居から見てちょうどすっぽりその中に、二の鳥居がおさまるサイズになっていていました。境内には祓戸なるものがありました。コワクツさんにこれは何ですかと尋ねると、祭りの準備、清めをするところだという説明をしてもらいました。喜多見氷川神社は、節分の「鬼問答と大黒舞」が有名で、ぜひ一度見てみたいと思っております。
~ここまで5695歩。



e0030922_15343548.jpgさて次は、また知行院のあるところまで戻って、宝寿院目指して歩きました。この辺りからもう日陰しか歩けないほど太陽光にやられていました。このお寺さんは境内に草木がきれいに植わっていて、今の時期はてっせんが見頃と見てきたのですが、見つけられませんでした。枝垂れ桜の写真がきれいで、また藤棚もきれいに植わっていました。
~ここまで7900歩。


そして今回最後のポイントである次太夫堀民家園へ。野川からひいてある復元された次太夫堀を歩きながら母屋へ。鴨が結構いました。
ここの民家園には安藤家、加藤家、城田家の母屋が復元されていて、そのうち城田家の母屋は二階に上がることもできました。窓から入ってくる風が気持ちよかったです。
~城田家母屋まで8800歩。
またここはラムネも1本80円で売ってました。なので母屋の前の椅子で、持参した駄菓子を食べながら一休み。一度座ったらもう動けないんじゃないかと思ったんですが、何とか立ち上がり次太夫堀民家園をぐるっとまわってみることにしました。ここは母屋の復元の他にも、田んぼがあって、今の時期とても青々としていて素敵でした。また虫網と虫かごをもった男の子の親子がいて、世田谷って広い・・・と思いながら散策。雰囲気は完全に田舎での夏休みという感じでしたね。とても楽しかったです♪
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さてゴールのバス停「次太夫堀公園」到着はおおよそ4時半。
万歩計は11580歩。一万歩超えました!!万歩計の名に恥じないだけ歩けました。
今回はなんと言っても、暑くて暑くて溶けそうでしたが、無事に喜多見散歩行って来られました。
念願の喜多見、とっても楽しかったです。
瀬田・岡本に引き続き、貴重な休みを返上し今回も参加してくださったコワクツさん、本当にありがとうございました。何やらその前にはお一人で、自転車飛ばして上野毛の辺りを走っていたというお話も・・・。これは世田谷マニアな仲間が一人できたんではないかと、密かに嬉しく思っています(笑)。またお付き合いくださいね~。
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# by hirainatsuko | 2006-06-30 12:26 | お散歩


地域提案型雇用創造促進事業

なんだか難しいタイトルになってしまいましたが、先ほどgmailをみていたら脇にこんなトピックスが載っていたので、クリックしてみました。そうしたら日本商工会議所のHPにとびましてこんな文面が。以下まとめるのも面倒なので貼り付けちゃいます!


◆ 地域提案型雇用創造促進事業1次採択案件を決定(厚生労働省) (2006.6.30)


 厚生労働省は29日、地域提案型雇用創造促進事業(パッケージ事業)の平成18年度第1次採択分として、全国31地域(36市町村)の事業構想を採択した。今回、採択されたのは、飯山市(長野県)の「地域資源(森林・温泉・食農)を活かした健康増進型の観光による地域再生」、橋本市(和歌山県)の「日本一のパイル織物・紀州へら竿産業の再生による地域産業創出と雇用機会の増大」、岡山県新見市の「かのさとにいみ地域ブランド育成・雇用促進事業」など。観光振興、ものづくり支援、地域ブランド育成など地域資源を生かした構想が多くなっている。採択地域では、「商品開発研究」「販路拡大に向けた専門的な知識やノウハウ」などの企業人材育成や技術指導、ヘッドハンティングなどによる人材の誘致や公募などの事業、地元求職者に対する資質向上のための「セミナー開催」、「求職者情報提供コーナー」「求職者相談コーナー」の充実などの事業を実施し、雇用創造を目指す。同事業の事業額の上限は2億円で事業期間は3年。昨年度から実施している地域は66カ所で、今後は、地域再生計画の認定スケジュールと合わせて2次採択分の審査が行われる。
 詳細は、同省のサイトhttp://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/06/h0629-2.htmlを参照。

   まちナビhttp://www.jcci.or.jp/machi/
   ものナビhttp://www.jcci.or.jp/mono/
   観光ナビhttp://www.jcci.or.jp/kanko/
   地域のブランド戦略http://www.jcci.or.jp/mono/JB.html
   地域振興関連施策公募情報http://www.jcci.or.jp/category/area.shtml


で、この観光ナビというのを見てみたんですが、ここに各地のご当地検定情報というのが載っていて、これが結構あって面白そうだなぁと思いました。
やはり名だたる観光地が多いのですが、京都でもジュニア京都検定などがあったり、また茨城にもご当地検定(「いばらき何でも知っとこ検定」)がありました。現在認定者数17人だそうです(受験者20名)。あとは明石・タコ検定というのもあって、これはお魚通を目指すものらしいのです。模擬チャレンジできるところがあってやってみようと思ったのですが、問題文読んで何を言っているのか分からずやめてしまいました(汗)こちらは明後日7月2日開催だそうですよ!
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# by hirainatsuko | 2006-06-30 12:11 | その他


せたがやじんと一緒♪ in用賀駅周辺

今日は用賀の地名の由来になった「喩伽山真福寺」に行ってみようと思い、田園都市線用賀駅にて下車。

真福寺の前に、まずは用賀神社へ行ってきました。
e0030922_16381571.jpgこの神社は、かつては秋祭りの時に若衆が獅子頭を担いで村中を練り歩き、また境内で獅子合わせという行事をしていました。しかし現在ではお神輿が主体となり、獅子頭は社殿の前に飾られるだけとなったそうです。
ここの神社も(前回行った玉川神社もそうでした。)、かつては天祖神社といっていましたが、明治41年に周辺の神社を合祀し、地名をとって用賀神社としたそうです。明治41年には何か令が出たのですかね。
ちなみに拝殿の賽銭箱は扉が閉まっていて、扉には穴が開いていて、そこから管が伸びて賽銭箱にお賽銭が入るという面白い仕組みになっていました。またここも鈴が置いてありました。
現在の社殿は昭和52年にたてかえたそうです。また一の鳥居や用賀神社と書いてある碑は昭和33年のものでした。ちなみにこの碑の裏には「玉川用賀」という地名が書かれています。これは世田谷区が昭和7年にできる時に、世田谷町・松沢村・玉川町・駒沢村とあったのですが、これが合併する時にもめまして、結局世田谷区という名前になると決まった時、玉川町としては「玉川」という地名がなくなってしまうのが残念だと言うことで、当初玉川町に属していた地域の地名の頭に「玉川」というのをつけたと言います。この玉川用賀もその一つだと思われます。
さて話が長くなりましたが、境内には「大六天力石」というものがありました。他にも「戦□紀念碑 陸軍中将柴五郎書」という碑もたっていました。柵には「昭和参年 御大典紀念」とあります。何でここに柴五郎が関係あるのかが分かりませんが、この碑の裏には、西南・日清・日露・韓国守備にて命を落とした用賀村の人の名前が書かれています。ちなみにこちら側は大正8年となっておりました。

e0030922_1651546.jpg次は真福寺です。室町時代、小田原北条氏の家臣である飯田帯刀の子、図書によって開基されたお寺で、飯田家の菩提寺となっています。飯田家は用賀村を開墾し、彦根藩世田谷領の代官を二代務めましたが、二代目の時に年貢を納めなかったため代官職を辞めたみたいです。




e0030922_1646719.jpgそしてここは用賀の地名の由来ともなっている「喩伽山」です!山門のところにちゃんと額が飾ってありました☆
またここは旧大山道から参道が延びていて、大山道のところに「喩伽山真福寺」の碑がたっていました。






今度は用賀商店街(旧大山道)を通って一旦駅に向かいました。というのも、用賀をモチーフにしたお菓子を売っている和菓子屋さんとかないかなぁ、と思いながら歩いたのですが、結局亀屋万年堂さんをみつけただけで、地元のお菓子屋さんは見つけられませんでした。

e0030922_1714179.jpgまた、ここの商店街沿いに酒屋さんがあったのですが、ここの建物が渋い!そして蔵づくりの姿の建物を残してある!!ということで写真に撮ってきました。この前行った中里商店街(旧大山道沿い)にも古い姿をした商店があったので、大山道沿いには今もこういう建物が残っているのですね。



用賀駅からは、砧公園に続くいらか道(プロムナード)を少し歩いて無量寺へ。このプロムナードには百人一首が刻まれているのですが、自転車が駐輪してあって、読めないところも多々・・・と思っていたら、帰りには世田谷区が違法駐輪を片っ端からトラックに積み込んでいて、あな厳し、と思いながら隅の方を歩いてました。

e0030922_1792061.jpg無量寺は用賀観音という名で知られています。というのも、天正年間に観音様が品川の漁師の網にかかり、その観音を用賀の住人である高橋六衛門がお告げによって当寺に納めたと言われているからです。この観音様は十二年に一回午の年に開帳されます。
また写真の左に写っているのが、世田谷百景の一つ「無量寺の大イチョウ」です。

e0030922_17155642.jpg最後に用賀駅の上に立っているタワー、SBSに行ってみました。地下と1階(2階も?)には店舗が入っているのですが、それより上はオフィス階となっていて、まるでキャロットタワーのようです。しかしこちらは27階!キャロットタワーより階数がありました。しかし展望フロアはありませんと書かれていました。残念。またこの建物に入っている「優文堂」という本屋さんに『歩く世田谷21』が飾ってあって、「世田谷本屋大賞受賞」と書いてありました。世田谷本屋大賞?そんなものがあるのですね。ちなみにここの店員さんは世田谷ライフの名前が入ったエプロンを着用。世田谷色の強い本屋さんです。なので私も『地元の書店が作った世田谷便利マップ!世田谷区』を買ってしまいました。バスの路線図が嬉しいです。

以上用賀駅周辺散歩でした。天気が良くなったら百人一首を読みながら、砧公園までお散歩してみるのも良いですね。

参考資料
『せたがやの散歩道』
『続・せたがやの散歩道』
『改訂・せたがやの散歩道 一歩二歩散歩』
区の看板



~おまけ~
e0030922_17235954.jpg

馬事公苑通りにはこんなものがありました。
ちなみに道やガードの支柱には馬のひづめもかたどられています。
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# by hirainatsuko | 2006-06-23 16:37 | お散歩

    

きょうどしか(志望)
by ooyama michiko
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