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世田谷これまである記 -blog編-


兵庫島

二子玉川の駅近くにある兵庫島の由来について、今日は紹介したいと思います。

南北朝の頃、新田義興という武将がいました。彼は新田義貞の次男で、観応の擾乱が起きた時に、南朝側の人間として鎌倉の奪回のため挙兵しました。一時は鎌倉を奪回したのですが、その後足利尊氏の反撃にあって鎌倉を追われ、越後に逃げます。
それから六年後の天正13年、尊氏が亡くなってから半年後に、再び新田家の再興をはかって挙兵しました。その時江戸遠江守と竹沢右京亮が、尊氏の子の足利基氏に義興を謀殺するように命ぜられました。
正平13(1358)年、新田義興軍は矢口渡で船に乗り多摩川を渡ろうとしました。しかしその船頭は遠江守に言い含められていて、途中で船底の栓を抜きました。それを見計らって遠江守と竹沢右京亮は岸から矢を射かけ、義興を自害させました。その時義興の従者であった由良兵庫助と由良新左衛門も、互いに首をかき落として死にました。そして兵庫助の首が流れ着いたところが現在の兵庫島だと言われています。
この後江戸遠江守は狂死し、また江戸氏の所領であった喜多見の人が矢口渡を使うと、熱を出し鼻血を出すといわれたそうです。そこで新田神社を建て彼らを祀りました。

この新田神社は大田区にあり、最寄り駅は東急の武蔵新田駅となります。

ただここでひとつ疑問なのは、矢口の渡は兵庫島より下流かな??なんて思うのですが、どうなのでしょう?首は流れ着きますかね?

というとこでこの兵庫島、日本通史の舞台にもなっているところとしては世田谷区内でも珍しいところだと思います。しかし現在ではみなさんの憩いの場となっていて、藤棚もあれば、この間の4月29日には「はなみずきフェスタ」が開催されていました。多摩川をお散歩するときにはもってこいの場所です。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照)
by hirainatsuko | 2006-05-12 15:39 | 民話・伝説

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