世田谷これまである記 -blog編-


野毛の民話 その2

野毛といったら野毛大塚古墳。野毛古墳群の中でも最大規模の前方後円墳です。
現在は公園になっていて、昼間は小さい子供たちが古墳を駆け下りたりして遊んでいます。
今回はその野毛大塚古墳にまつわるお話です。

ある日村の二人の青年のうち、平吉は血を吐いて死に、清助は突然狂ってしまいました。村の世話人の新兵衛はただ事ではないと思い、二人の青年の親に事情を聞いてみますが、なんとも返事が返ってきません。新兵衛は思い当たることがあり、翌朝早く大塚山に行ってみると、そこには清助がほり土にむかってとなえごとをしていました。二人で塚を掘り、死んだ平吉は勾玉や黄金を盗んだというのです。盗んだものを元の通り戻したら、狂った清助は元に戻りました。しかし堀り口に土をかけても、穴は赤い血を吹きふさがらないので、清助は先ほどのようにとなえごとをしていました。新兵衛が穴を土で固めるとやっと赤い血が止まりました。しかし今までいた清助が急に消えてしまったのです。
新兵衛が家に帰ると、すぐに清助の親がやってきて、息子が血を吐いて死んだと知らせました。

以上、赤い血を吹く野毛大塚古墳の話でした。
『せたがやの民話』には野毛大塚古墳について、南関東最大の円墳であると説明しています。5世紀前半の築造とみられ、明治30年頃に頂上から石棺が出てきて、古墳であることが判明したそうです。それまでは古城跡と考えられていました。明治後期には古墳の頂上に吾妻神社がまつられ、日露戦争当時は弾除けの神として参詣者が列をなし、茶店が出たほどだったといいます。

・・・そうだったんだ。なんで弾除けの神様とされたんでしょう。
ちなみに野毛古墳群についてもう少し紹介させてもらうと、かつて武蔵国は北と南の勢力に分かれていました。日本書紀によると、北の使主(おみ)と南の小杵(おき)とで争っていたと書かれています。そして534年に大和朝廷にまつろわぬ小杵が、使主を殺そうとしますが、大和朝廷に助けを求めた使主が逆に小杵を殺します。この殺された小杵の本拠地が、多摩川沿いの田園調布古墳群やこの野毛古墳群だったとされています。ちなみに使主の本拠地は埼玉古墳群の辺りと推定されています。
太古のロマン・・・ですかね。
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by hirainatsuko | 2006-07-04 17:35 | 民話・伝説

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