今日は等々力渓谷から善養寺へ行ってみようと思い旅立ちました。
まずは大井町線等々力駅に降り立ち、渓谷入り口のゴルフ橋へ。
ここには現在の等々力渓谷の気温が掲示されていて(ちょっと壊れてましたが・・・)、私が行ったときは多分23.9度と表示されていました。
等々力渓谷に訪れたのは何年ぶりか思い出せないくらい久しぶりだったのですが、改めて川のせせらぎと緑のきれいなところだなぁと思いました。途中渓谷の上を環八が走っていたので、ひょこひょこと階段を上って見に行きました。上に出ると普通に車がびゅんびゅん通っていて、まさかこの下に緑豊かな渓谷があるとは思えないほど、上と下とじゃ世界が違いますね。
その後渓谷を歩いていたら、野毛大塚古墳まで260メートルという看板が出てきたので、折角なので行ってみることにしました。私は野毛大塚古墳に小さい頃に行ったことがあるとずっと思っていて、今回もなんとなくイメージしていったのですが、これが思っていたのと全然違いました。おそらく初めて行きました(汗)
古墳自体思ったより大きくて、また埴輪が置かれていたりして、なんだか太古のロマンが感じられ興奮してしまいました。またここは公園が併設されていて、小さい子供たちが古墳のまわり、また古墳自体を駆け上ったり駆け下りたりして遊んでいました。私としては古墳が遊び場だなんてうらやましいなと思って見てました。
ちなみにこの野毛大塚古墳は、帆立貝式の前方後円墳で、墳丘は全体が多摩川の河原石で覆われています。後円部頂上から四基の埋葬施設があり、それぞれ出土品も見つかっています。この古墳は五世紀前半に構築された関東地方の中期古墳文化のもので、南武蔵の有力な首長の墓であるといえます(東京都の看板より)。そしてどうやらこの野毛大塚古墳は、副葬品や帆立貝式古墳ということから機内との直接的な関係が考えられ、在来系の田園調布古墳群の勢力と入れ替わる形で築かれたとみられるそうです。
ということで、やはり実際訪れてみると良いですね。もっと詳しく発掘調査の報告書などを読んでみたいなと思います。
再び等々力渓谷に戻り、今度は渓谷内にある横穴群に行ってみました。等々力渓谷の横穴群は、野毛大塚古墳などの後の時代のもので、古墳時代後期から奈良時代にかけて造られていきました。この横穴群は、野毛地域の有力な農民のもので、現在は三号のみ完全な形で残されているそうです。(都の看板より)
確かに一号、二号は看板しかたっていませんが、三号のみ中が見えるような形で保存されています、ただ穴の入り口にガラスが張ってあり、また中が暗いため、穴の中がどうなっているかは分かりませんでした。
次は等々力不動尊です。今では大分風流になってしまった「不動の滝」を見た後、階段をせっせと上ってご本堂に出ます。上がりきったところに、まだ新しい面白い形の舞台がありました。このお不動様は一年を通して行事が多いな、と思っていて、近くは5月28日に青葉祭があるそうです。そして私は等々力の民話を知ってから、一度ここの等々力囃子を聴いてみたいと思っています。
等々力不動の川を挟んで対岸に、新しく書院造の建物と日本庭園を含んだ敷地が公開されるようになりました。この書院造の縁側から腰掛けてみえる渓谷の緑はとてもきれいでした。
ここで等々力渓谷を後に、善養寺に向かったのですが、その前に等々力渓谷について少し書いておきます。
等々力渓谷は、武蔵野台地の南端に位置する延長約1キロの渓谷で、国分寺崖線に谷沢川が侵食してできた23区内唯一の渓谷です。昭和32年に風致公園として指定され、昭和49年に指定区域内の河川と斜面の一部を世田谷区立の公園として開園しました。以上、区の等々力渓谷パンフレットに記してありました。
最後に善養寺です。昔祐栄という僧がカヤの木の大木の元に霊場を開きまして、これが現在の善養寺の起こりとなります。
そしてまたこの祐栄は多摩川に渡し舟をつくり、この渡しを使って行き来する人々が、善養寺のカヤの木に別れを告げたり挨拶をしたりして親しみを持っていた、という話があります。
このかつては多摩川から見ることのできたカヤの木が、今はどうなっているのだろうと思い、今回善養寺に訪れた次第です。
それで、等々力渓谷から坂をてくてく上って善養寺に着いたのは良いんですが、大木がどうも見つかりません。寺の周りをうろうろうして、善養寺の敷地内では一番高いところ(この辺り坂だらけなんです。)に「都天然記念物 善養寺のカヤの木」という碑が立っていました。でもどうみてもカヤの大木は近くにありませんでした。この碑が立てられたのが昭和41年となっているのですが、その後カヤの木はなくなってしまったのでしょうか?善養寺は世田谷百景にも選ばれているようでしたので、カヤの木がどこかにあってもよさそうだったのですが・・・。
結局カヤの木を見つけることができず、そのまま多摩川にでてゴール!!
ここでどうやって帰れば良いんだ!?ということに気がつきまして、とぉぉぉくむこぉぉに二子玉川の駅が見えたので、そこを目指して歩けば着くかな、と思って歩き出したのですが、これがなかなか着きませんで、、。
結局野毛二丁目のバス停から、二子玉川の駅までバスに乗って帰りました。
以上約二時間半の旅でした。


