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世田谷これまである記 -blog編-


野毛の民話 その3

今回はずいぶんとメルヘンなお話です。

野毛には深い森のある丘があり、そこには立派な城が建っていました。お城には上品に育てられた美しい姫が暮らしていました。姫はとても優しく、森の動物達にも大変慕われていました。
ところがある日姫は京へ嫁ぐことになったのです。動物達はとても悲しみましたが、遠くに行く姫のため、沢山の薬草を運んできました。姫は喜び、今度は自分が動物達にお返しをしようと思い、森の中を歩き回ったところ、足を滑らせて滝つぼに落ちてしまいました。動物達は驚いて、急いで姫を助け上げ、一生懸命介抱しました。その甲斐あって姫は目を覚ましました。動物達は「姫は森のお姫様だ」「京などに行かないで」と口をそろえて言い、姫はみんなの顔を見まわしたあと、にっこり笑ってうなずきました。


はてさて不思議な話が野毛には伝わっているのだな、、と思いました。
結局、「このお姫様は生涯森の中で暮らしました」というお話なんですかね。
# by hirainatsuko | 2006-08-01 16:27 | 民話・伝説


用賀の民話

用賀にある無量寺にまつわる話です。

品川の漁師である喜七が、寄木の沖に舟を出してのりをとっている最中に、舟の前に大きな丸太が流れてきました。舟を近づけてよく見ると、それは観音様でした。喜七はやっとの思いで観音様を引き揚げ家に持って帰りました。
家に帰ると、用賀村の高橋六右衛門が来ていました。先日喜七は六右衛門のところへのりを届けに行ったのですが、六右衛門家では母を亡くしてとりこんでいた為、喜七は仏様のお供え物にと言って隣の家にのりを預けていったのです。今日はそのお礼にと高橋六右衛門は訪れたのでした。六右衛門は喜七の拾った観音像をみて、亡くなった母にそっくりであることに驚きました。喜七に観音像を是非譲って欲しいと頼み、用賀村に大切に持ち帰りました。そして村の守り神とするべく、無量寺に観音堂を建てて、村の大切な観音様にしました。


この無量寺はこの間お散歩で行ってきたところです。
昔は観音講で賑わったお寺だと説明がありました。また観音様は十二年に一回午の年に開帳されるそうです。
# by hirainatsuko | 2006-08-01 16:03 | 民話・伝説


深沢の民話 その3

中世南北朝の頃のおはなしです。

多摩川で武士の合戦がまたあるという噂が、深沢村にも流れてきました。旗さしものをみると、どうやら新田氏と江戸氏の合戦のようです。
ある夜、村の旧家三田家に、身ごもった姫と供の者がやってきたのです。供の者は、姫に生まれる子供が男の子であったなら、芝の神明様に送り届けて欲しいと言って立ち去りました。後に姫は男の子を産み、三田家では誰にも気付かれないようにと屋敷の奥で子供の世話をしました。世田原で合戦が終わった後、敗れた兵が逃げ込んでないかと三田家に調べの者が来ました。姫の子供は敗れた新田のかたみでした。そこで三田家では子供を密かに芝の神明様に届けることにしました。しかし屋敷の外には敵の目が光っていて送り届けることができません。なので三田家では屋敷神に芝の神明様をむかえて、子供を神前に届ける儀式を行ないました。

お話は以上なのですが、続きが気になるところです。
多摩川で新田氏と江戸氏の戦いがあるといわれると、新田義興が矢切の渡しで謀殺された話が思い浮かぶのですが(詳細は兵庫島の話にて)、今回のお話はこれと関係しているのでしょうか。
しかし世田原ってどこでしょう。このあたりのはらっぱ?
# by hirainatsuko | 2006-08-01 15:48 | 民話・伝説


玉川地域の民話

玉川の村では、春から夏にかけて病が流行りました。
キヌの家でも、母が病で体が黄色くなり、床に伏せっていました。父は三年前同じ病で急死しています。キヌは良薬を探し求めました。
ある日、目黒村からこの病に効くという薬をもらった帰り道、一人の子供が病に効く秘薬があるといってキヌを矢沢川(やざがわ)に連れて行きました。子供は川底にあるシジミの中で丸みのあるものをより分け、キヌに渡しました。キヌがこのシジミの煮汁を母に飲ませたところ、母は翌日からみるみる元気になっていきました。この黄色い病に効く薬の話は近隣に広まって、この地方では不治の病はなくなったということです。

今回の話の題名は「貝とり娘とお不動様のお使い」というものです。
どうやらキヌにシジミのことを教えた子供はお不動様のお使いだったようです。
文中の「矢沢川」は現在の等々力渓谷を流れる「谷沢川」であるという注釈が入っています。
このお不動様のお使いは目黒不動なのか等々力不動なのか、、どのみちお不動様に縁のある地域がお話の中に出てきていますね。
# by hirainatsuko | 2006-08-01 15:28 | 民話・伝説


まち歩き下見編  

7月25日に、今度おこなうまち歩きのイベントのための下見をしてきました。
このまち歩きのイベントは、一般の方に地域風景資産を知ってもらうのと、風景の魅力を知ってもらうことを目的に、9月9日におこなわれるものです。上町風景じゅくさんと世田谷区が協働で主催をしてがんばる!という感じです。

当日は3コースの中から好きな地域を選んでもらって歩く、という形になるのですが、今回は下見ということで、一日で3コース分一気に歩くこととなりました。
当日は20人の団体で歩くということを想定していますので、各コースとも距離は短めにとってあるのですが、果たして最後まで持つのやら・・・とちょっと不安を抱えてのスタートです。

最初は玉川地区の新町公園と駒沢給水塔をメインに持ってきたコースです。
ルートは、桜新町駅~新町公園~(桜神宮)~駒沢給水塔一周~久富稲荷神社~地区会館となっております。
この辺りはつい最近も歩いたところで、その時に成城と同じ「隅切り」がある!と思いました。
そこで今回桜新町の隅切りについて区の職員の方にうかがってみました。職員の方いわく、この辺りの区画は昭和に入ってから碁盤の目に整えられて、隅切りもその時の計画で行なわれたものなのだそうです。なので、成城の隅切りが住民の方々の取り決めで行なわれたのに対し、桜新町の方は国の整備計画の中で行なわれたという違いがあるということです。
また、コース最後の久富稲荷神社は初めて行くところでした。大きな通りから参道が長く続いていて、そこに鳥居がいくつも建っています。よくこれだけ長い参道が残ったなぁと思われるところです。
このコースは地区会館からまた駅に戻るところまでを1コースと考えますと、全部で約5500歩でした。

次は砧地区の三丁目緑地と市民緑地をメインにしたコースです。
ルートは、砧総合支所~仙川沿い~三丁目緑地~こもれびの庭市民緑地~富士見橋~支所という成城の南側を一周するコースです。
ここでは雨も上がり、日も少しさしてきて歩くには良い天気になってきました。ただ三丁目緑地は雨上がりということもあって下の土がすべりやすく、年配の参加者がいらっしゃった場合には大変だということになりました。また成城三丁目の裏手(崖下)に行く道もコースに入れたら地形が分かりやすくて良いな、と思っていたのですが、時間がなくて今回はあえなく除外されました。(時間があっても、アップダウンの厳しいところなので、大勢で歩くのはちょっときついかもしれませんが、、。)
この成城コースは全部で約6500歩。ちょうどいい感じのコースだと思いました。

最後は烏山コースです。ここが一番の長距離コースだという話だったので、最後まで辿り着けるか不安でいっぱいでした。
ルートは、上北沢駅~上北沢桜並木~釜の口緑地~芦花公園(愛子夫人邸)というみちのりです。しかし今回は駅からではなく、愛子夫人邸から駅に向かうという逆ルートを歩きました。
今回どのルートでもいえることなのですが、風景の魅力を歩きながら探してもらうというコンセプトなので、ポイントの間は風景を楽しんでもらう、、という考えなのですが、大雑把に言ってしまえばこの間は見るものがなくひたすら歩いているだけ、という状態に陥ってしまう恐れがあるのです。特にこの上北沢の桜並木と釜の口緑地の間は長いっ。今回団体で歩くよりはちょっと早く歩いたのにも関わらず、この間40分!!団体で歩けば1時間弱はあるかもしれないこの間を、ただひたすらてくてく歩くだけというのはどうなんだろう・・・・。いや、上北沢だけでなく他の地域でもそうなんです。というよりまち歩きというのはそういうものだと思うのです。しかし20人もの団体、しかも地域風景資産って何?という方々を連れて歩くのを想定しているわけですから、これはちゃんと最後まで行ききれるのか、今からドキドキです。
ちなみにこのコースは全部で約4900歩。あれ、一番短い?と思ったのですが、たぶん私がもう大分疲れていて、各ポイントでほとんど歩き回らなかったのが一つあると思います。あともう一つ、このコースは最後のポイント(休憩地)である芦花恒春園の愛子夫人邸から、参加者の皆さんはまた最寄の駅まで歩かなくてはならないのです。一番近いと思われる京王線の蘆花公園まで軽く10分~15分はみといていいと思うので、そうするとだいぶ距離が伸びますね。いやぁがんばれぇ~。


以上3コース。
当日私は砧の成城コースとなりますが、果たしてどんなまち歩きになるのやら、9月9日を楽しみにしてます。
# by hirainatsuko | 2006-07-27 12:49 | 協働事業 風景資産

    

きょうどしか(志望)
by ooyama michiko